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新作ドラマ「三国志」を試写会で観てきた。 [三国志・中国史]

10月27日からレンタル開始される中国の新作ドラマ「三国志 Three Kingdoms」
その試写会イベントが、新橋のヤクルトホールで行われ、
主催者のSPOの方からお招き頂いたので、仕事仲間と観に行ってきた。

当初は、このドラマの監督と俳優陣数名が来場し、
舞台挨拶が行われる予定だったが、
ニュースにも出ていた通り「諸般の事情」で中止に。

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その代わりか(?)、俳優らの大ポスターが
会場内に貼り出されていた。

話によれば、来日の前日に連絡が入る「ドタキャン」だったという。
政治の問題も絡んだことなので仕方のないことだが、
発売元にとっては痛手だろう。残念である。


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550名収容のホールは、8割ぐらいの埋まり具合だったろうか。
座席には、ブロックによって魏・呉・蜀の旗が置かれており、
三国志ファンには絶好のお土産となっていたようだ。
我々は意図せず、「呉」のブロックに陣取ったが、
魏や蜀の旗も欲しかったな(笑)。

俳優らの来場は中止となったものの、報道陣も結構詰め掛けていた。

それは、ドラマの上映前にサプライズとして
タレントの山本モナが舞台に上がったからだったようだ。
劇中に使われたという、貂蝉(ちょうせん)の衣装姿で登場。


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モナさんと三国志の結びつきがピンと来なかったが、本人は三国志好きとのこと。
三国志好きのお笑い芸人として有名な、
やついいちろう氏とのトークが20分ほど展開された。

モナさんが好きな人物として挙げたのは諸葛亮と周瑜。
そこで、やつい氏に「じゃあ、郭嘉や荀イクも好きでしょう?」と
問われると「その人たちは知りません」との事だった。

まあ、あんまり知らない人に意地悪な問いではあるが、
レッドクリフぐらいはご覧になったのだろう(笑)。

5分ほどの写真撮影の後、モナさんが壇上を後にすると、
大軍が退くように、会場前方に陣取っていた報道陣が撤退していった。
その空席を、周りに詰めて座っていた一般客が埋める(笑)。

報道陣…そういう仕事なのは分かるが、少しは映像も見て行けよ…。

その後は、プロモーション用のダイジェスト映像20分、
合間に、満田剛氏と三国志芸人・おくまん氏による
「三国志ミニミニ講座」(面白かった)が20分ほど行われ、
最後に本編の「長坂坡の戦い」(45分)を上映。

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ダイジェスト以外の本編映像を観たのは、初めてだった。
「よく出来ているなあ」というのが、第一印象。

長阪の戦いということで、やはり趙雲の活躍が大部分。
趙雲が阿斗を抱え、曹操の大軍を突破するという展開は
結果が分かっていながら、どの作品を見ても結構ハラハラさせられる。
そして、劉備が阿斗を投げ捨てるシーンも(笑)。

「赤壁の戦い」直前の美味しい場面ということで、
レッドクリフ、アンディ・ラウ版三国志など近作でも
繰り返し描かれているだけに、ファンとしてはそれらと見比べるのが楽しみの焦点。

肝心の戦闘シーンは、レッドクリフ並のアクションと言っていいだろう。
かなり迫力のある映像が撮られていた。

とくに趙雲が馬から落ちて徒歩で戦う場面で、
馬上の敵を相手にする際、低い位置から馬の足を斬り落馬させるシーンが
たびたび描かれており、なかなかのリアリティがあった。
趙雲が、致命傷ではないが傷を負うシーンもある。

今回一緒に行った感想で、こうした描写を「生々しい」と見る人もおり
日本での公共の放送は期待できないのではないか、との
意見も聞かれたのだが、戦場のリアリティを追求する場合、
どうしても避けては通れない描写として、個人的にはありかと思う。

今回のドラマと比較されがちなのは、
1994年版の中国ドラマ「三国演義」。

その作品でも長阪の戦いは、かなりの見せ場として描かれていたものの
趙雲のテーマソングがミュージカル調に流れ、
その音楽に乗って敵の囲みが破れていくような感じだったので、
いまひとつ緊迫感には欠けていた。
あれはあれで、独特のノリがあって好きだったが。

他にも、'94年版の三国演義には…
・趙雲など主要人物の役者が途中で変わる
・エキストラにやる気がない
などの欠点があったが、本作では少なくともその心配はなさそうだ。

また、「脇役」の存在感もしっかりと描かれており、
ド脇役の夏侯恩をはじめ、蔡瑁、曹洪、曹仁、張遼、荀イクなど
曹操陣営の武将たちが、本編では字幕入りで確認できた。
このあたり、レッドクリフで区別がつかず消化不良を起こしたファンも
納得できるのではないだろうか。

難点は、曹操・趙雲・劉備といった主役クラスの俳優が
'94年版に比べて印象が薄く、映像の上では今ひとつ精彩を欠くように思える。
そういう意味でも今回、来日予定だった彼らを実際に
見てみればまた印象が変わったのかもしれないが。

ただ今回の映像を観て、確実に他の回も観てみたくなったのは事実。
レンタル・販売だけでなく、'94年版のようにテレビでも放映してくれないだろうか。

会場では、日ごろから親しくして頂いている
多くの三国志ファンとお会いできた。

今回は仕事仲間4人と一緒だったので、挨拶のみで先に失礼した。
一緒に飲めなくて残念だったが、総じてみんな楽しんでいたようだ。

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繰り返し言うが、魏や蜀の旗も余っていたから貰って帰るべきだったな(笑)。


●山本モナが中国四大美女に変身した「三国志」イベントをレポート!
http://navicon.jp/news/9514/

「三国志 Three Kingdoms」のレンタルは、
「第1部 群雄割拠 1~9巻」が10月27日から、
「第2部 中原逐鹿 10~16巻」11月10日から、
「第3部 赤壁大戦 17~21巻」11月26日から。以降順次。
http://www.sangokushi-tv.com/

静岡より届いた地酒、鳳雛(ほうすう) [日記・雑感]

あわただしく仕事に追われる日々の合間、
静岡の旧友より、酒が届いた。

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その名も、「臥龍梅・鳳雛」(がりょうばい・ほうすう)。
しかも純米吟醸。
さすがに私の趣味も好みも分かっているな、友よ(笑)。

静岡市清水にある酒蔵「三和酒造」が造っている酒で、
よもやとは思ったが、臥龍梅とは、
やはり「三国志演義」の諸葛亮孔明に由来する名前だそうだ。
http://www.garyubai.com/

そして、もちろん「鳳雛」とは
由来はどこにも書かれていないが、孔明に並ぶ天才として
鳳凰のヒナに例えられた、ホウ統のことであろう。

静岡と三国志は何も関係がないはずだが、
焼酎「赤兎馬」や、紹興酒「関帝」などと同様に、
こういう銘柄名がついているだけで、三国志好きとしては嬉しくなるではないか。

ワラサ(ブリ)の刺身と、菜の花のおひたしを買ってきて肴にし、
さっそく、お気に入りの焼き物の銚子と杯で頂く。

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うーん!
ひと口でいえば、うま辛で芳醇。
日本酒度は+3なので、口当たりは辛口、
後味にはまろやかでコクのある甘みが程よく残る。

山田錦のさっぱりした味が溶け込み、甘さと辛さが混在したインパクトのある味わいだ。
それでいて主張しすぎず、肴の味を引き立ててくれる。
欲を言えば、もう少しキレが感じられたら理想的。

自営業なので自宅では極力、深酒はしないようにしているのだが、
旨くて、ついつい…杯を重ねてしまった。

ご馳走様でした。

それにしても、「臥龍梅・鳳雛」とは。
臥龍と鳳雛を一度に手に入れ、天下を得たような
気分にさせてくれる不思議な名前の酒といえる。

ご興味のある方は、ネットでも
購入できるようなので探してみてくだされ。

酒に対してはまさに歌うべし…人生いくばくぞ…。

龍馬が寺田屋での傷を癒した「塩浸温泉」。 [温泉・名湯]

大河ドラマ「龍馬伝」、
今回は龍馬と妻・おりょうが、薩摩へ湯治に行く話だった。

龍馬は、1866年(慶応2年)の1月21日に
「薩長同盟」を成立させ、2日後に寺田屋で幕吏に襲われた。
このときに腕を負傷した龍馬は、薩摩藩に匿われ、
療養を兼ねての薩摩行きを勧められている。

3月4日に京都を出発し、10日に鹿児島到着。
それから1ヶ月ほど、日当山温泉・塩浸温泉・霧島温泉に滞在、
束の間の安らぎを満喫したといわれている。
中でも今回のドラマに登場した「塩浸温泉」(しおひたしおんせん)は
龍馬らが、実に20日近くも滞在したメインの逗留地であった。

そこに龍馬とお龍が実際に入浴したとされる湯船が現存している。
実は4年前、私はそこを訪れたことがあるので、ちょっと紹介しておきたい。
少し前なので、ちょっと記憶が曖昧なところもあるが…(笑)。

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温泉への出発点は、鹿児島県霧島市のJR嘉例川駅(かれいがわえき)。
築100年を超える木造の無人駅で、登録有形文化財に登録されている。

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そこから妙見温泉行きの「温泉バス」に乗って、塩浸温泉へ向かった。
本当は鹿児島空港からバスに乗ったのだが、嘉例川駅で停車するので
運転手に頼んで少し長めに停車してもらい、写真撮影などをする。
平日だったため、乗客は私1人だけだったこともある(笑)。

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目的の「塩浸温泉・福祉の里」到着。
実は、バスはここから徒歩20~30分のバス停にしか止まってくれず、
ゆるゆると歩いて来たのだが、その途中で親切な軽トラのおっちゃんが
「乗っていきやんせ」(方言違っていたらすいません)と、乗せてくれたのだった。

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龍馬夫妻の銅像が迎えてくれた。

で、さっそく浴室へ。
たしか、料金は200円ぐらいだったと記憶している。
男女別の内湯が2ヶ所あり、それぞれに泉質が異なっている。

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湯船は小さく、建物はボロボロだし、内部も温泉の成分で汚れているが、
素朴で実にいい湯加減であった。
塩分の強い炭酸水素塩泉で、体がよく温まった。

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龍馬も痛む右腕を浸したに違いないし、
さぞや沁みたに違いないが、よく癒えたのだろう。

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そして…
建物の脇、川べりにあるのが、「龍馬・おりょう湯治の浴槽」である。
立地上、客は入ることができないようになっているが、
おそらくは無理やり入りに行くファンもいるに違いない。
ここに龍馬が居たのだと思うと、感慨もひとしお。

それにしても、今回のドラマでは、湯船に入っていたのは龍馬だけで、
おりょうは入っていなかったのが実に不満である(笑)。
当時は混浴が当たり前だったから、一緒に入るシーンがあっても良さそうなものだったが。

ついでに言えば、寺田屋でも中途半端な入浴シーンはあったが、
龍馬に危機を知らせるときは、ばっちりと浴衣を着込んでいた。
小説などでは裸で知らせるのが定番。
演じる真木よう子は、他の映画では濡れ場を演じたりもしているようだが。ま、NHKだから仕方ないか(笑)。

ちなみに塩浸温泉は、昨2009年に建物の老朽化で一旦閉鎖となったが、
大河ドラマ人気を受けてか、今年5月にリニューアルされて復活。
龍馬の資料館なども併設され、すっかり綺麗に生まれ変わったらしい。
鄙びた雰囲気が失われたのは残念だが、また行ってみたいものだ。

塩浸温泉には日帰り施設なので、
この日泊まったのは妙見温泉の「たじま本館」。

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まさに、昔ながらの湯治場といった風情で、
自炊施設のある旧館は、素泊まりで2800円ぐらいだった。
旅人には非常に有難い。

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とはいえ、食材は仕入れられなかったので、夕飯は用意してもらったが。
極めて質素な夕飯だが、貧困一人旅ならこれで十分である。
この日は腹の具合が悪かったので、おかゆにしてもらう。

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この宿の湯と
浴室の雰囲気が、また最高であった。

※文中にも書きましたが、この日記の写真は2006年に撮影したものです。

徳川秀忠ほか、歴代将軍が眠る増上寺へ。 [城・史跡]

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芝公園といえば、東京タワー。正式名を「日本電波塔」という。
だが、本日書きたいのは、東京タワーではなく、
そのすぐ下にある…芝・増上寺

9月15日、増上寺で行われた「黒本尊」祈願会に行ってきた。
この祈願会は、年に3度(1月・5月・9月)行われ、
黒本尊をはじめ、徳川将軍家の墓所が一般公開される日だ。

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増上寺は、家康以来の徳川家の菩提寺。
黒本尊はもちろんだが、将軍家の墓所にお参りしたく、足を運んだ。

浜松町の駅から、まずは大門へ。
ちょうど昼飯どきで、飲食店に向かうオフィスワーカーで溢れ、
駅前は大変な混雑ぶりだったが、「大門」のあたりまで来ると、
だいぶ人通りも少なくなる。

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大門をくぐり、そのまま真っすぐ行くと「三門」がある。
増上寺の顔ともいえる門で、境内では唯一焼失を免れた建物。
確かにこの門が一番、江戸時代らしい面影を残している。

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本堂にあたる大殿。
右後方には、東京タワーがそびえ、新旧あいまった独特の風景を作り出している。
ただ、この大殿も比較的新しい建物で、昭和49年(1974)に再建されたものだ。

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大殿の右側に位置する「安黒殿」の、
その真裏にあるのが、徳川家の墓所。

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普段は、固く閉ざされている葵の御紋・鋳抜きの中門。
それが、公開日は広々と開放されている。
そこそこの人出があるが、見張りの坊さんなどもおらず、
重々しい空気もなく、思い思いに参拝できるような雰囲気がある。

この増上寺に眠っている徳川将軍は、2代・秀忠をはじめ、
6代・家宣、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂の6人。
そして、各公の正室と側室も合祀されており、
来年の大河ドラマの主人公として有名な、秀忠の正室・お江(崇源院)、
14代・家茂の正室であり、皇女の和宮も含まれている。

ちなみに、徳川将軍の墓は4ヶ所に点在しており、
初代の家康と3代の家光は日光東照宮に、
8代・吉宗や13代・家定ら6人の墓は上野・寛永寺に、
15代・慶喜の墓は谷中霊園にある。

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墓所の区域は、思ったよりもこぢんまりとしている。
2代秀忠の墓が右奥、6代家宣の墓が左奥にこちら向きに配され、
その手前に他の将軍と和宮らの墓が、中央向きに並んでいる。

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2代将軍・秀忠の宝塔。秀忠本来の宝塔は木造だったためか焼失し、
これは本来、妻のお江の宝塔だったものらしく、夫婦で合葬されている。

徳川秀忠といえば、関ヶ原の戦いに遅参して、
家康に怒られたというエピソードなどから
武将としてはあまり優秀ではないイメージがあるが、
昭和30年代に発掘調査された遺骨からは刀傷が無数に認められ、
非常に筋肉質の身体を持っていたことが分かり、
武具や1丁の鉄砲が副葬品として見つかるなど、
まさに「戦国武将」の面影を宿す男であったようだ。

それに比べると、6代・家宣以降の将軍は
はなはだ貧弱な体格で、歯や顎も発達しておらず、
ほとんど固いものを食べた形跡のない貴族的な遺骨だったらしい。

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こちらが、秀忠の真横に建っている6代・家宣の宝塔。
将軍の中では唯一の青銅製。
先ほどの中門は、元々は家宣廟の入口にあった。

昭和初期まで、これらの墓は一まとめではなかった。
現在は東京プリンスホテルなどになっている増上寺の広大な敷地に、
南北にわたって壮麗な門や建ち並んでいた。
しかし、昭和20年の東京大空襲で建物はことごとく焼け落ちた。

今なおホテルの敷地に残る2つの門や、
墓の下の遺骨が無事だったのはせめてもの救いか。

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将軍家の中では一番新しい、14代・家茂の墓。
21歳で、出征先の大坂で病に倒れた悲運の将。

彼がもっと長生きしていたら、明治維新は起きたであろうか。
甘いものが大好物で、残存する歯がほとんど虫歯であったというのが
当時の贅沢な暮らしと、貧弱な医療技術との板ばさみを伺わせる…。

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それに寄り添うように建つ、妻・和宮(静覚院宮)の墓。
妻でありながら、唯一の独立した宝塔かつ青銅製の造りから、
いかに「皇女」として尊重されていたかが分かる。

以前にも書いたが、調査のさい、和宮の棺からは家茂らしき写真の入ったガラス板が発見された。
皇室から嫁いできた孤独の身で、唯一の心の拠り所が夫の家茂だったのだろう。

そんなことを思いながら、そっと手を合わせた。
他の将軍の墓も、ひとつひとつお参り。
すぐ下に歴史上の偉人が埋まっているのだと思うと、特別な感慨がある。

いいのか悪いのか分からないが、私には霊感がまったくない。
ただ真摯な気持ちで参拝すれば、
被葬者と心の対話ができるような感じはするのだが…。

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慈雲閣では、この日のメインともいえる、黒本尊の祈願祭が行われていた。
「黒本尊」とは、徳川家康の念持仏だった仏像で、
家康は出陣のたびに、戦勝を祈願してそれを本陣に置いたという。

本来、黒本尊は安国殿に祭られているが、現在改装中のため、
こちらの建物が臨時で使われていた。

「ご開帳」というから、厨子から取り出されるのかと思ったら、
厨子の扉を逆ハの字型に開いた程度…という、勿体ぶった(失礼)ご開帳であった。
隙間から覗く黒本尊は、高さ80センチほどと意外と大きな像だった。

持仏と聞いたので、もっと小さなものだと思っていたが、
これだけ大きいと、家康も戦場に持ち込むのは大変だっただろう。
当然のごとく撮影は禁止。

家康に勝ち運をもたらした黒本尊の前で焼香。
ご利益にあやかりたい。


ついでなので(?)、東京タワーにも上ってみた。

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東京近辺の人ほど、大抵は上ったことがないといわれるタワーだが、
はたして私も小さい頃、親に連れてきてもらった程度で、
しかし、その時の記憶も全然ない。自分の意思で上るのは初めてだ。

大体、150mの高さに上るだけで820円も取るのは、このご時世どうなのだろう。
さらに上の特別展望台(250m)まで上ると1400円もする。
ボッタクリもいいところだと心の中で悪態をつき、
今見てきた増上寺(左下)や、お台場方面を眼下に見下ろした。

秀忠や家茂は天上から、
この東京の景色のめまぐるしい移り変わりを、どう見ているのだろうか。
 

陥陣営(かんじんえい)とは? [三国志・中国史]

昨今、テレビ新聞をにぎわしているのが
陥陣営(かんじんえい)という単語だ。

陥陣営とは、すなわち「三国志」に登場する武将、
高順(こうじゅん)のあだ名である。

高順は、当代最強とうたわれた呂布(りょふ)に仕えた名将。
その軍の中核をなし、戦いにあたっては、
敵の陣を必ず陥落させたことから「陥陣営」の異名をとったという。

高順は、あの曹操軍に度々苦杯をなめさせ、
猛将・夏侯惇(かこうとん)の部隊をも撃破したことがある。

知略にもすぐれ、暴走しがちな主君の呂布を度々諌めたが、
その助言はあまり採用されず、疎んじられた。

だが、高順の忠誠心は変わることがなく、
西暦198年、呂布が曹操に敗れて処刑されると運命を共にした。

高順は、有名な「三国志演義」よりも正史での活躍が目立つため、
これまではどちらかといえば、マイナーな男だった。
昔は三国志ファンでも、あんまり反応する人はいなかった。

しかし、いまや「陥陣営」の名が、
日本でも連日叫ばれるようにまでなるとは…
高順も、さぞ草葉の陰で喜んでいるに違い…ない?


【民主党代表選・激突】 つばぜり合い最終局面まで 菅陣営「天の声にも変な声…」 
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100914/plc1009140048000-n1.htm

【高順】
http://kakutei.cside.com/san/koujun.htm
 

ロッテ、堀が戦力外… [野球]

久々に野球話題

千葉ロッテマリーンズの堀幸一選手が戦力外通告を受け、退団が決定的となった。

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野球を生で観始めた中学生の終わりごろ、
同じ神奈川ながら、人気のあるセ・リーグの
大洋(横浜スタジアム)は、そう気軽には観に行けず、
代わりに、最初は仕方なく行った川崎球場

今では信じられない話だが、一旦ファンクラブに入ってしまえば、
内野席でタダで観放題という、子供の味方だった川崎球場

当時は私も出待ち小僧で、サインをもらおうと球場前で待っていたら、
ルーキー初芝清(堀の1年後の'89年入団)には逃げられてしまったが、
2年目だった堀は、淡々とサインしてくれたことを覚えている(笑)。

それからロッテが本拠地を千葉に移すまで、
オリオンズ最後の4~5年を、間近で見て過ごしていた自分にとって、
堀は思い入れがある選手。

伝説の10.19があった'88年にプロ入り。
一軍でセカンドのレギュラーに定着した4年目の'91年、
川崎球場最後の年にホームラン20本を放ち、これは凄い選手が出てきたと思った。

川崎球場で20本といえば、今では大したことがなさそうだが、
当時とて二ケタを打てる日本人選手は、ロッテには片手で数えるほども居なかった。

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(上の写真も含めて2002年頃、千葉マリンスタジアムにて。左は、D・メイ)

千葉移転後は典型的なアベレージヒッターとして知られるが、
何度か4番を打ったこともある。
堀や高沢やサブローなど、どちらかといえば線の細い日本人の4番は、
有藤監督以来ロッテの伝統として、今もなんとなく息づいている。

今年からは、同時代をプレーした西村徳文が監督になったが、
堀は1軍に一度も呼ばれず、チームを去ることになった。

ファームでは44試合の出場ながら打率.336。
1軍が優勝争いをしている今年、
ロッテ一筋のベテランが、ここ一番で代打に出るシーンを
イメージしたファンも多いはずだが、ついに出番はなかった。

不完全燃焼。
実力の世界とはいえ、まったくチャンスを貰えなかったのはさぞ悔しかろう。

先日、横浜では佐伯が戦力外となったように、
自分よりも年齢が上の野球選手が
次々と引退へ向かいつつあるのは仕方ないが、寂しい。

41歳でのトライアウト挑戦は過酷だが、
1年でも長くプレーしてほしいと願うばかりだ。


■ロッテ・堀に戦力外通告 現役続行を希望
http://www.sanspo.com/baseball/news/100911/gsi1009111457002-n1.htm

大森の老舗喫茶、珈琲亭ルアン [グルメ・呑み喰い処]

最近は、すっかり古い喫茶店めぐりに
ハマッてしまい、出先でそういう店を見つけると入らずにはいられない。

いや、前からよく行っていたので、ハマッている…という言い方はおかしいけれども、
20代ぐらいの頃は、なかなか入りづらかった店も最近は年相応になったというか、
自然に溶け込めるような気がして、抵抗なく入れるのである。

今朝は、大森駅(東京大田区)の東口から5分ほどの所にある「珈琲亭 ルアン」へ。


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創業は1971年というから、もう40年近くになる。
使い込まれたカウンター、ランプなどのインテリア
いかにも「昭和」を感じさせる貴重な憩いの場である。

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革張りの椅子に、珈琲豆がはめ込まれたテーブル
いつまでも腰を落ち着けていたくなるような雰囲気だ。


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飲み物にプラス100円すると、トーストとゆで卵のモーニングセットが頼める。
モーニングといっても、7時の開店から13時まで出しているので、客にとっては有難い。
運ばれてきた骨董品のようなトレイを見て、大変にいい気持ちになる。


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ちょっとだけビールでも…と思ったが、
無かったのでアイスコーヒーをオーダー。
この店の、個人的な難点といえば、アルコールが一切無いことかな(笑)。

私は普段、ストローを使わないのだが
口をつけるのも申し訳ないような、陶器のグラスが出てきた。
後でメニューを見たら、関東では珍しい
ミックスジュースもあったので、それにすれば良かった気も。


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こうした古い店には、先日の「さぼうる」同様に
名物おじさんがいるのだが、やはりこの店にも健在であられた。

創業者の方で、この店を始める前は和菓子職人をされていたとか。
和菓子屋として独立しようとしたが、
設備投資が大変だったので諦め、喫茶店を始めたという。
道理で、洋風喫茶ながら隙のなさ、和の繊細さが現れているわけだ。

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老舗には、一つひとつに味わい深い歴史がある。
こうした味わいは、チェーン店に行くばかりでは決して得ることができないものだ。

昔ながらの店が淘汰されていく現状、
出来る限り足を運んで、店の存続に貢献しようと思わずにいられない。

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