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寛永寺の聖域を見学(徳川将軍家の墓と、慶喜が謹慎した部屋) [城・史跡]

この9月、芝・増上寺の徳川将軍家廟所へお参りに行ったことを書いたが、
7月にチラッとお参りしてから、気になっていた
上野・寛永寺の徳川家廟所(墓地)にも先日、正式に参拝してきた。

増上寺には、2代・秀忠、6代・家宣、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂。
寛永寺には、4代・家綱、5代・綱吉、8代・吉宗、10代・家治、11代・家斉、13代・家定と、
それぞれの寺に6人ずつの将軍が眠っている。
(初代の家康と3代の家光は日光東照宮に、15代・慶喜の墓は谷中霊園にある)

どちらも通常は非公開で、自由な参拝はできないが、
年に数日だけ、一般人に公開する日が設けられている。

増上寺は、その日になれば一日中開放され、自由に参拝することができるが、
寛永寺は往復ハガキでの申し込みが必要で、1回あたり抽選で80名という制限があり、
しかもお坊さんの案内がつくという、厳重なものとなっている。

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今年はそれに応募したところ、運よく当選し、参拝する機会を得た。
参拝させてくれたのは、2ヶ所ある霊廟のうちの北側。
北側のこの勅額門の奥に、5代・綱吉、8代・吉宗、13代・家定と、
その妻・篤姫(天璋院)の墓があるのだ。

門のそばまでは、普段から行くことができるのだが、
ここから奥に入るのは初めて。ドキドキの瞬間だ。

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ということで、裏に回り込んで1枚。
実際にはこの門をくぐることはできず、回り込んで行くことになる。

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門の脇に、80名近い参拝者たちが、
案内の僧侶が来るのを待ち構えている。秋晴れの、いい色の空だった。

で、肝心の墓の写真を載せたいところであるが、
この参拝ツアーでは一切、写真撮影は禁止となっている。
そのため、残念ながら写真は無い。
勅額門の脇にあった、篤姫墓の案内板でご勘弁を(笑)。

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緑が鬱蒼と茂るなか、増上寺と同じ形の宝塔が
立っていて、誠に神妙な気持ちにさせられた。

今でこそ、門以外の建物はみんな1945年の戦災で焼失しているが、
江戸時代、墓所の前には拝殿があって、
その拝殿から奥に進むことは、将軍でさえも許されなかったというのだから、
墓のすぐ側まで行ってお参りできるのはこの上なく光栄なことである。

宝塔の地下2メートルのところに、各将軍の遺体は棺に入り、眠っている。
増上寺は、1958年に遺骨の発掘調査が行われ、
その後、桐ヶ谷斎場で荼毘に付されて改葬されているが、
寛永寺の廟所は発掘調査は行われていない。
つまり、将軍たちは亡くなってからそのままの形、座した姿で今も眠り続けているのだ。

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(これは7月の日記にも載せた、扉の隙間から撮った家綱墓の写真)

本堂裏の一角にまとめられた増上寺の墓は、どこか手狭な感じがしたが、
寛永寺の墓は、上写真のように、ひとつひとつが独立して建っており、
本当に当時の姿のままというのが分かる。
写真撮影や、人数の制限がされている理由も分かった。

そんな中でも、13代・家定と妻・篤姫の墓はちゃんと並んで建っていて、
篤姫が亡くなった後に、その功績(江戸無血開場や徳川家の存続など)を重く見て、
当時の人が敢えてここに埋葬した志が伝わってくる。
本来、将軍以外の人物が廟所の中に埋葬されることは、あり得なかったのだから。
勝海舟が、これらの墓を守るために築いた石垣も、中から眺めると特別な感慨があった。


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墓参りの後、徳川慶喜が「鳥羽伏見の戦い」後に
謹慎していた大慈院(葵の間)にも、案内していただいた。
写真はその入口で、内部はやはり撮影禁止。

内部には慶喜が起居していた和室2間と厠、そして庭や一部の遺品が、
当時のまま(実際には少し場所が動いたために移築)残されている。
大政奉還し、自ら江戸幕府を終息させた慶喜は、何を想ってここで暮らしていたのか。

今回は狭い和室に大勢が入りすぎて、そこまで感慨に浸れなかったので、
一度、一人でじっくり訪れて感じてみたいものだ。

年に一時期(秋)の、寛永寺特別公開。
このページに募集要綱が出るので、興味のある方は、ぜひまた来年チェックされたし。
私も、チャンスがあれば毎年のように参拝したい。
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/064589/045985.html
 
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徳川秀忠ほか、歴代将軍が眠る増上寺へ。 [城・史跡]

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芝公園といえば、東京タワー。正式名を「日本電波塔」という。
だが、本日書きたいのは、東京タワーではなく、
そのすぐ下にある…芝・増上寺

9月15日、増上寺で行われた「黒本尊」祈願会に行ってきた。
この祈願会は、年に3度(1月・5月・9月)行われ、
黒本尊をはじめ、徳川将軍家の墓所が一般公開される日だ。

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増上寺は、家康以来の徳川家の菩提寺。
黒本尊はもちろんだが、将軍家の墓所にお参りしたく、足を運んだ。

浜松町の駅から、まずは大門へ。
ちょうど昼飯どきで、飲食店に向かうオフィスワーカーで溢れ、
駅前は大変な混雑ぶりだったが、「大門」のあたりまで来ると、
だいぶ人通りも少なくなる。

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大門をくぐり、そのまま真っすぐ行くと「三門」がある。
増上寺の顔ともいえる門で、境内では唯一焼失を免れた建物。
確かにこの門が一番、江戸時代らしい面影を残している。

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本堂にあたる大殿。
右後方には、東京タワーがそびえ、新旧あいまった独特の風景を作り出している。
ただ、この大殿も比較的新しい建物で、昭和49年(1974)に再建されたものだ。

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大殿の右側に位置する「安黒殿」の、
その真裏にあるのが、徳川家の墓所。

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普段は、固く閉ざされている葵の御紋・鋳抜きの中門。
それが、公開日は広々と開放されている。
そこそこの人出があるが、見張りの坊さんなどもおらず、
重々しい空気もなく、思い思いに参拝できるような雰囲気がある。

この増上寺に眠っている徳川将軍は、2代・秀忠をはじめ、
6代・家宣、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂の6人。
そして、各公の正室と側室も合祀されており、
来年の大河ドラマの主人公として有名な、秀忠の正室・お江(崇源院)、
14代・家茂の正室であり、皇女の和宮も含まれている。

ちなみに、徳川将軍の墓は4ヶ所に点在しており、
初代の家康と3代の家光は日光東照宮に、
8代・吉宗や13代・家定ら6人の墓は上野・寛永寺に、
15代・慶喜の墓は谷中霊園にある。

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墓所の区域は、思ったよりもこぢんまりとしている。
2代秀忠の墓が右奥、6代家宣の墓が左奥にこちら向きに配され、
その手前に他の将軍と和宮らの墓が、中央向きに並んでいる。

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2代将軍・秀忠の宝塔。秀忠本来の宝塔は木造だったためか焼失し、
これは本来、妻のお江の宝塔だったものらしく、夫婦で合葬されている。

徳川秀忠といえば、関ヶ原の戦いに遅参して、
家康に怒られたというエピソードなどから
武将としてはあまり優秀ではないイメージがあるが、
昭和30年代に発掘調査された遺骨からは刀傷が無数に認められ、
非常に筋肉質の身体を持っていたことが分かり、
武具や1丁の鉄砲が副葬品として見つかるなど、
まさに「戦国武将」の面影を宿す男であったようだ。

それに比べると、6代・家宣以降の将軍は
はなはだ貧弱な体格で、歯や顎も発達しておらず、
ほとんど固いものを食べた形跡のない貴族的な遺骨だったらしい。

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こちらが、秀忠の真横に建っている6代・家宣の宝塔。
将軍の中では唯一の青銅製。
先ほどの中門は、元々は家宣廟の入口にあった。

昭和初期まで、これらの墓は一まとめではなかった。
現在は東京プリンスホテルなどになっている増上寺の広大な敷地に、
南北にわたって壮麗な門や建ち並んでいた。
しかし、昭和20年の東京大空襲で建物はことごとく焼け落ちた。

今なおホテルの敷地に残る2つの門や、
墓の下の遺骨が無事だったのはせめてもの救いか。

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将軍家の中では一番新しい、14代・家茂の墓。
21歳で、出征先の大坂で病に倒れた悲運の将。

彼がもっと長生きしていたら、明治維新は起きたであろうか。
甘いものが大好物で、残存する歯がほとんど虫歯であったというのが
当時の贅沢な暮らしと、貧弱な医療技術との板ばさみを伺わせる…。

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それに寄り添うように建つ、妻・和宮(静覚院宮)の墓。
妻でありながら、唯一の独立した宝塔かつ青銅製の造りから、
いかに「皇女」として尊重されていたかが分かる。

以前にも書いたが、調査のさい、和宮の棺からは家茂らしき写真の入ったガラス板が発見された。
皇室から嫁いできた孤独の身で、唯一の心の拠り所が夫の家茂だったのだろう。

そんなことを思いながら、そっと手を合わせた。
他の将軍の墓も、ひとつひとつお参り。
すぐ下に歴史上の偉人が埋まっているのだと思うと、特別な感慨がある。

いいのか悪いのか分からないが、私には霊感がまったくない。
ただ真摯な気持ちで参拝すれば、
被葬者と心の対話ができるような感じはするのだが…。

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慈雲閣では、この日のメインともいえる、黒本尊の祈願祭が行われていた。
「黒本尊」とは、徳川家康の念持仏だった仏像で、
家康は出陣のたびに、戦勝を祈願してそれを本陣に置いたという。

本来、黒本尊は安国殿に祭られているが、現在改装中のため、
こちらの建物が臨時で使われていた。

「ご開帳」というから、厨子から取り出されるのかと思ったら、
厨子の扉を逆ハの字型に開いた程度…という、勿体ぶった(失礼)ご開帳であった。
隙間から覗く黒本尊は、高さ80センチほどと意外と大きな像だった。

持仏と聞いたので、もっと小さなものだと思っていたが、
これだけ大きいと、家康も戦場に持ち込むのは大変だっただろう。
当然のごとく撮影は禁止。

家康に勝ち運をもたらした黒本尊の前で焼香。
ご利益にあやかりたい。


ついでなので(?)、東京タワーにも上ってみた。

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東京近辺の人ほど、大抵は上ったことがないといわれるタワーだが、
はたして私も小さい頃、親に連れてきてもらった程度で、
しかし、その時の記憶も全然ない。自分の意思で上るのは初めてだ。

大体、150mの高さに上るだけで820円も取るのは、このご時世どうなのだろう。
さらに上の特別展望台(250m)まで上ると1400円もする。
ボッタクリもいいところだと心の中で悪態をつき、
今見てきた増上寺(左下)や、お台場方面を眼下に見下ろした。

秀忠や家茂は天上から、
この東京の景色のめまぐるしい移り変わりを、どう見ているのだろうか。
 

勝海舟の石垣が守りし、将軍家の墓(寛永寺) [城・史跡]

先日、所用のため上野公園へ。

山手線の一つ隣、鶯谷駅で降りると、
「寛永寺」の近くを通ることができるので、散歩がてら、
徳川将軍家の墓所を拝んでいくことにした。

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上野公園の北端にさしかかると、ほどなく壮麗な赤い門が見えてくる。
これが、四代将軍・家綱の時代に建てられた、
霊廟の入口ともいえる勅額門。

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柵があって正面からは入れないので、
脇の入口から入り、裏に回って墓地の中から撮影


一般の方々の墓が立ち並ぶ、墓地の奥へ進んでいくと、
 

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やがて、大きな灯籠群が立ちはだかる。
その反対側には、高くそびえる石垣が。
ひと目で、この奥が尋常ならざる方々の眠る場所だと意識させられる。


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石垣の前に、水盤舎がある。
本来なら、ここで手を清めるところだ。
これも家綱が没した当時に建てられたもの(重要文化財)。

ちなみにこの石垣は、勝海舟が造らせたものらしい。
幕末の動乱冷めやらぬ明治初期、
徳川家の墓所を守るため、私財を投じたという。

この奥が、まさに将軍家の墓所なので、
ずずっと進んで行きたいところだが、柵があって入れない。
神聖なる将軍家の墓所は、基本的には非公開なのである。


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それでも、柵の隙間から拝んでみると、
立派な宝塔が見えた。家綱のものだろうか。

ここからでは見えないが、脇には10代・家治、11代・家斉も眠っている。
苔むした石畳が、江戸以来の歳月を感じさせる。

寛永寺の徳川家墓所は2ヶ所に分かれており、
ほかに5代・綱吉、8代・吉宗、13代・家定と
6人の将軍が眠る。(その他日光や芝・増上寺)


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その、もう片方のほうにある家定の墓の隣には、
妻の天璋院・篤姫の墓もあるのだが、
やはり、こんな感じで塞がれていて中には入れない。

まあ、無理もない。
江戸時代の頃は、廟所内には
歴代の将軍でさえ自由には入ることができなかったというのだから。

でも、もどかしい(笑)。
もぞっと、近くまで行ってお参りしてみたい。

こんな具合に、非公開づくしの寛永寺だが、
年に一度、秋に数日間だけ、希望者に抽選で公開している。
これまではタイミングを逃していたのだが、今年は応募してみようかな。

駿府へ小旅行 [城・史跡]

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東海道新幹線の車中。
昼時なので、駅弁にて昼食とする。

少し高くついたが、旅行気分には代えられない。
むろん、ビールも忘れちゃならない。

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着いた先は、静岡駅。
1時間などあっという間だ。

打ち合わせの約束まで時間があるので、駿府城跡を散策。
巽櫓の写真を撮っていたら、頃合良く出前持ちが通りかかった。
このローカルな感じが、なんともいえんでしょう?

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新緑の駿府城公園は、実にマッタリとした風情。
本丸跡には、恰幅の良い徳川家康像がポツンと佇んでいる。

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帰り際、茶店にて安倍川餅(あべかわもち)を食す。
甘い物が食いたくなったというより、日本茶が飲みたくなったので。
やはり静岡といえばお茶だよな。

皇居・江戸城で桜を満喫。 [城・史跡]

江戸城(皇居東御苑)を、花見がてら散策。
桜田門から出発し、二重橋・坂下門・大手門・本丸から
北の丸へ抜け、日本武道館・靖国神社へいたるコースをたどってみた。

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満開の花のすき間から、お堀を望む。
あいにくの曇り空で、空が灰色なのが残念なれど、
日ごろは見なれたような風景も、この時期は格別な彩り。

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富士見櫓のそばにも、少し遅咲きの、
緑の混じったような桜が色を添え、独特の趣に。

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日本武道館から靖国神社方面へと抜ける、田安門のあたりは、
まさに桜のトンネルのようで、沢山の花見客が詰めかけていた。
雨がパラついてきたが、散策が終わるまではなんとか持ちこたえてくれて、ひと安心。

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靖国神社では、先週から桜まつりが開催中。
先週はまだまだ五分咲きにも満たなかったが、もう見頃。

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屋台の店に設えてもらった席に腰を下ろし、熱燗や煮込み、おでんで一服。
陽がさすことも一切なく、思ったよりも気温が上がらず、
真冬のような気候だったから、熱燗が身体に沁みる…。

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先週は新潟名物のイタリアンが出店していたようだが、
もう畳んでしまったので、普通の焼きそばで我慢(笑)。
それでも素朴なこの味わいが、凍えそうなほどの寒さを和らげてくれた。

日本の建築美・自然美、そして酒の旨さを満喫できた日であった。

とある小窓からの眺め [城・史跡]

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・・・これはどこぞの窓?



















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そう、姫路城の狭間(さま)ですな。
この穴から、弓矢や鉄砲を侵入者めがけて射掛けるのだが、
姫路城には、こんなものが数百も開けられている。

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さて、姫路城と姫路駅の道中には、昔ながらの商店街が長く延びている。
その中に、こんな食堂を発見。ある意味、文化遺産
これは入ってみなければ。

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案の定、小柄なおばあちゃんが一人でやっていた。
ビールと、他人丼(650円)を注文
これ、皆さんは食したことがおありだろうか?

他人丼(たにんどん)は、親子丼の鶏肉の代わりに牛肉を混ぜたものだ。
関西独特の呼び方で、関東ではあまり見かけない。
まれに置いてある店では、「開化丼」と呼ばれている。

恥ずかしながら、今まで食したことがなく、今回が初トライであった。
味は親子丼のほうが好みだが、これも悪くないな。
店のおばあちゃんが作ってくれた他人丼は、
汁が多すぎて飯がぐちゃぐちゃだったが、ま、それもなかなか味があった。

平成の修理も間近の、姫路城へ [城・史跡]

今回の関西遠征のメインは、姫路城。
別名・白鷺城。国宝であり、単独の城郭としては日本唯一の世界遺産だ。

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並び立つ大小の天守を訪れたのは、実に10年ぶりぐらい。
記憶は時とともに薄れていくものだが、
この偉観は、なかなか忘れがたいものがある。
だがしかし、何度見ても圧倒される。

規模、美観、緻密さ全てにおいて、文句のつけようがない。
当時の人はよくもまあ、こんな凄いものを作ったものだ。
池田輝政ではなく、作業した大工や石工、名もない人々に頭が下がる。

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バスガイドの姉ちゃん集団も城攻めに来ていた。

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外観もさることながら、凄いのは天守の内部で、
渡り廊下や階段の踊り場があるなど、かなり凝った構造になっている。
籠城を想定して、地階には流し台トイレも設置してある。
一度も実戦には使用されなかったが、攻められても難攻不落を誇っただろう。
他の城の天守は簡素な構造が多いが、この城は特別だ。

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大天守最上階(6階)からの眺め。

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例によって小田原城の時のように寒空のなか、陽が落ちるまで粘り、
夕闇にボーっとライトアップされる天守を一枚。

さて、最後の写真でも分かるとおり、この姫路城大天守は、
4月上旬から大規模な修復工事が始まってしまうので、
数年間は囲いで覆われ、現状の外観は観ることができなくなってしまう。
未見の方は、今のうちに行かれることをお勧めしたい。
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