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佐野ラーメンを食してみた。 [グルメ・呑み喰い処]

栃木県佐野市で「佐野ラーメン」を食した。
この界隈では「青竹打ち」のちぢれ麺を使ったラーメンが食べられることで有名だ。

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まず行ってみたのは、タクシーの運ちゃんが勧めてくれた「赤見屋本店」。
佐野駅から歩いて10分ほど、小さなビルの1Fを店舗としており、
改装されたばかりのようだが、創業数十年の歴史があるという。

昼時を外して行ったが、4つのテーブル席がほぼ埋まっていて、なかなかの混雑ぶり。
ピーク時は大抵、店外にまで列ができているそうだ。

中華そば(550円)の大盛(100円増)を注文
出てきた品は、透明感ある薄口のスープが、
丼から溢れそうなほどで、麺や具はかなり沈み込んでいる。

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溢れないようまずスープをすすり、平べったい麺を箸ですくいあげてみる。
麺の太さ、長さがマチマチで、いかにも手打ちといった趣がある。
クチに含むと、ふんわり、ぼそぼそした食感だった。

ワンタンの皮を食べているような不思議な食感。
旨いのだが、コシはまったくない。「ラーメン」を食べているような感覚ではない。
麺としてではなく、スープの具として味わうもの、
なのかもしれないと思いつつ、手繰り続けた。

スープは正油と鰹節系の薄味で、まずまず好みだったが、
麺の存在感の薄さゆえか、食べた後の満足感がイマイチであった。
でもまあ、近所の常連客が多いようだし、観光客に媚びない味と姿勢は感じた。

この地方独特のラーメンとはこういうものなのかもしれないと思い、納得する。
実際、佐野の人に言わせれば東京ラーメンは味が濃すぎる、
麺が固すぎると思う人が多いらしい。

いまいち、満足できなかったので、
夕方になり、引き揚げる前にもう一軒立ち寄ってみることにする。

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今度は駅から歩いて2~3分、小さな路地を入ったところにある「味吉」なる店。
「麺歴70年」と看板に手で書かれた粗末な造りだが、
なんとなく親しみが持てたので入ってみる。
こちらでは普通のラーメン(480円)を注文。

麺はまずまずコシがあり、東京や神奈川で食べ慣れたラーメンの感覚に近い。
スープも同様で、色からもわかるとおり、濃口の正油味。

こちらも麺が沈み込むほどにたっぷりと注がれていたが、ちょっと飲み飽きる感じ。
スープに関していえば先の「赤見屋」、麺はこちらのほうが好みであった。
値段は安く、ボリュームもまずまずなので、お手頃感はある。

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ちなみに左上に見えているのは、シューマイ(380円)。
「当店名物」で絶対の自信作とあったので注文したのだが、残念な味だった。
電子レンジの音が聞こえた時点で失敗したと思った。

なぜかソースで食べることを勧められ、そうしたのだが、
グニャグニャした食感に加え、タマネギの味しかしない。

なんでも、むかし有名人が食べて行ったことがあるらしく、
店主はそれを店内の紙に貼って誇りにしているようだが…。
時間がかかってもいいから、きちんと蒸したものを出してほしいと思った。

ラーメンの話に戻るが、どちらもまずまずだが、何か物足りない。
佐野産の青竹手打ち麺を使っていることで知られる、
「本丸亭」(本厚木・川崎)のような味を期待して行ったのだが、
残念ながらそこまでのレベルを期待するのは無理があったようだ。

ラーメンの評価には好みも多分に影響するし、
たった2軒入っただけで判断してはいけないのかもしれないが。
この日はどうも私の嗅覚が不調であったようだ。

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赤見屋の近くの民家にいた犬。

無くなってほしくない、松原商店街の豆腐屋 [日記・雑感]

売上げに苦戦していた豆腐屋の親子が、自殺するという事件が起きた。

なんとも寂しく、傷ましい事件が起きたものだ。
スーパーやコンビニが流行り、職人的な個人商店が次々と消えてゆく。

私もたびたび地方都市へ行くが、シャッターが閉じた店だらけの
商店街を見かけると、本当に寂しい気持ちでいっぱいになる。
まあこれも時代の流れ、流行り廃りもあるのだろうが、この手のニュースを見るにつけ、
日本は、やはりどこかで国づくりの舵取りを誤ったのではないかという気がしてくる。

週末、郊外のどでかいスーパーやショッピングセンターへ車で出かけ、
1週間分の食材や日用品を買い揃える、あるいは毎食コンビニの弁当で片をつける…。

それは非常に効率的かもしれないが、極めてアメリカ的であり、
アメリカ人の合理主義に、日本の日常の隅々までもが
支配されてしまったような感じがしてならない。
この豆腐屋の店主も、日々そんな思いに打ちひしがれていたのではなかろうか。

豆腐屋といえば、私は家からそう遠くない、
古い商店街「洪福寺・松原商店街」にある店で、よく豆腐や納豆を買っている。
ここは「横浜のアメ横」と呼ばれ、割と有名な商店街である。

「和光豆腐店」は、朝5時ごろから営業している創業80年の老舗で、
70~80歳の老夫婦が切り盛りしている。
「今は年だから無理」と店の親爺は言っていたが、
20年ぐらい前までは、ラッパを吹いて自転車でも売り歩いていたそうだ。
ああそんな光景を見てみたかったものだ。

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「木綿ひとつ、ください」というと、
「はいよ」と、深い水槽から豆腐をすくいあげ、紙に包んでくれる。

納豆は大粒で、プラスチックのパックではなく、上質な三角の紙に包まれたもの。
いつもセットで購入するのだが、どちらも本当に美味しいのだ。

何よりスーパーで買ったのでは味わえない贅沢さと有り難味がある。
この店の豆腐一丁で、充分ご飯のおかずになるし、酒のつまみにもなる。
残念なことに跡継ぎは居そうにないが、心からいつまでも続いてほしいと願うばかりである。

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豆腐屋以外にも、この松原商店街には貴重な店が揃っている。
肉屋、魚屋、八百屋、お茶屋、菓子屋などに加え、麺屋、味噌屋まであるのだ。
麺屋では、手打ちのうどん、そば、ラーメンがグラム単位で手に入る。

味噌屋はたくさん並べられた樽に、
全国各地から仕入れた味噌がおさめてあり、好きなものを量り売りしてくれる。
週に何度か、お好み焼き屋や焼鳥の露店も出る。

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平日、祝日問わずいつも賑わっていて、人通りが絶えることがない。
買うものにもよるが、1000円も持っていけば、
野菜や魚などは両手に持ちきれないほど買える。

食材ばかりではなく、蒸かした芋や惣菜も手に入るので非常に便利だ。
「いらっしゃい!今日は○○が安いよ」と、店員も元気がいい。
周辺の環境もあるのだろうが、こういう商店街は強い。

賑わいはあるが、ただ「雑踏」といった風な横浜駅前を離れ、
この商店街まで辿りつくと、まるで別世界にでも
迷い込んでしまったような錯覚に陥ることがある。

それは妙に落ち着けるというか、同じ人ごみの中を歩いているのでも、
朝のラッシュのような時と、祭りの日のような感覚の違いがあるのだ。
昭和の時代は、もちろん良いことばかりではなかったと思うが、
こんな風景が至るところで見られたような気がする。
後ろ向きといわれてもいい。私はこれからも個人商店を応援したい。

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20円ゲーム機が置かれた路地裏では、子どもたちが遊ぶ姿も。

これがJTという企業のやり方か・・・ [日記・雑感]

神奈川県禁煙に対するアンケートに、
JT(日本たばこ産業)が「禁煙反対」の組織票を入れたことが判明。
http://weeklyreview.client.jp/news070221/news070221-3.htm

天下の大企業の戦略はなんとも凄いというか、浅ましいものだ。
しかし、タバコ呑みの肩身が狭くなっている昨今、
JTも生き残りに必死なのだろう。

私などはもちろん、こんな偽善的な会社は
無くなればいいのにという考えなのだが。

実際、神奈川県民として、公共の場が禁煙になるのは
喜ばしいこととは思うが、なんでもかんでも「法」で
縛りつけていいものだろうかという感じもする。

「ここでは禁止されているから…」という動機で吸わない人と、
「周りの人に迷惑だから…」という配慮を持ち合わせている人とを
一緒の扱いにしてしまうということにもなる。
それは、痴漢でもない男が女性専用車に乗れないのと同様に。

まあ、喫煙者には馬鹿者もかなり多く居るのは実感する。
以前、ある温泉の小さな送迎バスに乗っていたら、真後ろの人が
おもむろにタバコを吸い出した。周囲の人が咳払いをしだしたので、
私が「すみません。その1本でやめていただけますか」と、
穏やかに注意してみると、「あ?灰皿が付いてるから吸っていいんだろ」ときた。

「だったら最初に一言断るのが礼儀では?」と言ったのだが、
そいつは酒も飲んでいたようで、その後も延々と絡んできて面倒なことになった。
結局、周囲の白い目線に耐え切れなくなった彼は、
最後に私に謝り、丸く収まったのだが、つまりはこういう考えの人間がいるから、
タバコ呑みは益々肩身が狭くなるのであろうと思う。

まあ、何が悔しいって、いちばん悔しいのは、
せっかく美味しい物を食べているときに
タバコの煙を吸わされるときに他ならない。
あまり過敏に反応したくはないし、もちろん酒の席では
吸う人が多いので、仕方なく我慢するが。

今でこそ、私は喘息がほぼ完治しているが、
タバコが原因で再発したら、と思うとゾッとするので、
副流煙はなるべく吸わないように気をつけているのだが、
なにしろ煙というのは気体だから、かわして過ごすのは難しい。

吸う人も吸わない人も、お互いもう少しずつの配慮と我慢が
できればいいのだが、難しい。本当に難しい問題である。
やはり、法で縛りつけるのが一番ということなのだろうか。

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