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徳川秀忠ほか、歴代将軍が眠る増上寺へ。 [城・史跡]

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芝公園といえば、東京タワー。正式名を「日本電波塔」という。
だが、本日書きたいのは、東京タワーではなく、
そのすぐ下にある…芝・増上寺

9月15日、増上寺で行われた「黒本尊」祈願会に行ってきた。
この祈願会は、年に3度(1月・5月・9月)行われ、
黒本尊をはじめ、徳川将軍家の墓所が一般公開される日だ。

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増上寺は、家康以来の徳川家の菩提寺。
黒本尊はもちろんだが、将軍家の墓所にお参りしたく、足を運んだ。

浜松町の駅から、まずは大門へ。
ちょうど昼飯どきで、飲食店に向かうオフィスワーカーで溢れ、
駅前は大変な混雑ぶりだったが、「大門」のあたりまで来ると、
だいぶ人通りも少なくなる。

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大門をくぐり、そのまま真っすぐ行くと「三門」がある。
増上寺の顔ともいえる門で、境内では唯一焼失を免れた建物。
確かにこの門が一番、江戸時代らしい面影を残している。

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本堂にあたる大殿。
右後方には、東京タワーがそびえ、新旧あいまった独特の風景を作り出している。
ただ、この大殿も比較的新しい建物で、昭和49年(1974)に再建されたものだ。

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大殿の右側に位置する「安黒殿」の、
その真裏にあるのが、徳川家の墓所。

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普段は、固く閉ざされている葵の御紋・鋳抜きの中門。
それが、公開日は広々と開放されている。
そこそこの人出があるが、見張りの坊さんなどもおらず、
重々しい空気もなく、思い思いに参拝できるような雰囲気がある。

この増上寺に眠っている徳川将軍は、2代・秀忠をはじめ、
6代・家宣、7代・家継、9代・家重、12代・家慶、14代・家茂の6人。
そして、各公の正室と側室も合祀されており、
来年の大河ドラマの主人公として有名な、秀忠の正室・お江(崇源院)、
14代・家茂の正室であり、皇女の和宮も含まれている。

ちなみに、徳川将軍の墓は4ヶ所に点在しており、
初代の家康と3代の家光は日光東照宮に、
8代・吉宗や13代・家定ら6人の墓は上野・寛永寺に、
15代・慶喜の墓は谷中霊園にある。

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墓所の区域は、思ったよりもこぢんまりとしている。
2代秀忠の墓が右奥、6代家宣の墓が左奥にこちら向きに配され、
その手前に他の将軍と和宮らの墓が、中央向きに並んでいる。

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2代将軍・秀忠の宝塔。秀忠本来の宝塔は木造だったためか焼失し、
これは本来、妻のお江の宝塔だったものらしく、夫婦で合葬されている。

徳川秀忠といえば、関ヶ原の戦いに遅参して、
家康に怒られたというエピソードなどから
武将としてはあまり優秀ではないイメージがあるが、
昭和30年代に発掘調査された遺骨からは刀傷が無数に認められ、
非常に筋肉質の身体を持っていたことが分かり、
武具や1丁の鉄砲が副葬品として見つかるなど、
まさに「戦国武将」の面影を宿す男であったようだ。

それに比べると、6代・家宣以降の将軍は
はなはだ貧弱な体格で、歯や顎も発達しておらず、
ほとんど固いものを食べた形跡のない貴族的な遺骨だったらしい。

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こちらが、秀忠の真横に建っている6代・家宣の宝塔。
将軍の中では唯一の青銅製。
先ほどの中門は、元々は家宣廟の入口にあった。

昭和初期まで、これらの墓は一まとめではなかった。
現在は東京プリンスホテルなどになっている増上寺の広大な敷地に、
南北にわたって壮麗な門や建ち並んでいた。
しかし、昭和20年の東京大空襲で建物はことごとく焼け落ちた。

今なおホテルの敷地に残る2つの門や、
墓の下の遺骨が無事だったのはせめてもの救いか。

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将軍家の中では一番新しい、14代・家茂の墓。
21歳で、出征先の大坂で病に倒れた悲運の将。

彼がもっと長生きしていたら、明治維新は起きたであろうか。
甘いものが大好物で、残存する歯がほとんど虫歯であったというのが
当時の贅沢な暮らしと、貧弱な医療技術との板ばさみを伺わせる…。

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それに寄り添うように建つ、妻・和宮(静覚院宮)の墓。
妻でありながら、唯一の独立した宝塔かつ青銅製の造りから、
いかに「皇女」として尊重されていたかが分かる。

以前にも書いたが、調査のさい、和宮の棺からは家茂らしき写真の入ったガラス板が発見された。
皇室から嫁いできた孤独の身で、唯一の心の拠り所が夫の家茂だったのだろう。

そんなことを思いながら、そっと手を合わせた。
他の将軍の墓も、ひとつひとつお参り。
すぐ下に歴史上の偉人が埋まっているのだと思うと、特別な感慨がある。

いいのか悪いのか分からないが、私には霊感がまったくない。
ただ真摯な気持ちで参拝すれば、
被葬者と心の対話ができるような感じはするのだが…。

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慈雲閣では、この日のメインともいえる、黒本尊の祈願祭が行われていた。
「黒本尊」とは、徳川家康の念持仏だった仏像で、
家康は出陣のたびに、戦勝を祈願してそれを本陣に置いたという。

本来、黒本尊は安国殿に祭られているが、現在改装中のため、
こちらの建物が臨時で使われていた。

「ご開帳」というから、厨子から取り出されるのかと思ったら、
厨子の扉を逆ハの字型に開いた程度…という、勿体ぶった(失礼)ご開帳であった。
隙間から覗く黒本尊は、高さ80センチほどと意外と大きな像だった。

持仏と聞いたので、もっと小さなものだと思っていたが、
これだけ大きいと、家康も戦場に持ち込むのは大変だっただろう。
当然のごとく撮影は禁止。

家康に勝ち運をもたらした黒本尊の前で焼香。
ご利益にあやかりたい。


ついでなので(?)、東京タワーにも上ってみた。

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東京近辺の人ほど、大抵は上ったことがないといわれるタワーだが、
はたして私も小さい頃、親に連れてきてもらった程度で、
しかし、その時の記憶も全然ない。自分の意思で上るのは初めてだ。

大体、150mの高さに上るだけで820円も取るのは、このご時世どうなのだろう。
さらに上の特別展望台(250m)まで上ると1400円もする。
ボッタクリもいいところだと心の中で悪態をつき、
今見てきた増上寺(左下)や、お台場方面を眼下に見下ろした。

秀忠や家茂は天上から、
この東京の景色のめまぐるしい移り変わりを、どう見ているのだろうか。
 
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