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勝海舟の石垣が守りし、将軍家の墓(寛永寺) [城・史跡]

先日、所用のため上野公園へ。

山手線の一つ隣、鶯谷駅で降りると、
「寛永寺」の近くを通ることができるので、散歩がてら、
徳川将軍家の墓所を拝んでいくことにした。

100717 (1).JPG

上野公園の北端にさしかかると、ほどなく壮麗な赤い門が見えてくる。
これが、四代将軍・家綱の時代に建てられた、
霊廟の入口ともいえる勅額門。

100717.JPG

柵があって正面からは入れないので、
脇の入口から入り、裏に回って墓地の中から撮影


一般の方々の墓が立ち並ぶ、墓地の奥へ進んでいくと、
 

117589.jpg

やがて、大きな灯籠群が立ちはだかる。
その反対側には、高くそびえる石垣が。
ひと目で、この奥が尋常ならざる方々の眠る場所だと意識させられる。


100717 (3).JPG

石垣の前に、水盤舎がある。
本来なら、ここで手を清めるところだ。
これも家綱が没した当時に建てられたもの(重要文化財)。

ちなみにこの石垣は、勝海舟が造らせたものらしい。
幕末の動乱冷めやらぬ明治初期、
徳川家の墓所を守るため、私財を投じたという。

この奥が、まさに将軍家の墓所なので、
ずずっと進んで行きたいところだが、柵があって入れない。
神聖なる将軍家の墓所は、基本的には非公開なのである。


100717 (4).JPG

それでも、柵の隙間から拝んでみると、
立派な宝塔が見えた。家綱のものだろうか。

ここからでは見えないが、脇には10代・家治、11代・家斉も眠っている。
苔むした石畳が、江戸以来の歳月を感じさせる。

寛永寺の徳川家墓所は2ヶ所に分かれており、
ほかに5代・綱吉、8代・吉宗、13代・家定と
6人の将軍が眠る。(その他日光や芝・増上寺)


100717 (6).JPG

その、もう片方のほうにある家定の墓の隣には、
妻の天璋院・篤姫の墓もあるのだが、
やはり、こんな感じで塞がれていて中には入れない。

まあ、無理もない。
江戸時代の頃は、廟所内には
歴代の将軍でさえ自由には入ることができなかったというのだから。

でも、もどかしい(笑)。
もぞっと、近くまで行ってお参りしてみたい。

こんな具合に、非公開づくしの寛永寺だが、
年に一度、秋に数日間だけ、希望者に抽選で公開している。
これまではタイミングを逃していたのだが、今年は応募してみようかな。
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